現実見まくりネガティブ記事
お久しぶりです。
まただいぶブログを放置してしまいました。
前回の記事を改めて読み返し、今働いている会社に対してまあまあひどいこと言ってるなあと自分に少し引きました。
ついでに今回も会社のことです。
私が今勤めている会社では、事務所の男性陣は平均年齢48歳でだいぶ年上なのですが、平気で女性の容姿のことについて言ってきます。
私と同い年の女の子がいるのですが、彼女は面接の際その場で即採用されたそうで、そのとき面接官をした男性Tさんが「美しい人が入ってくる!」と事務所で大騒ぎしていたそうです。
その話を教えてくれたKさんという男性は彼女のことを「ブス!」と面と向かって平気で言います。
おそらく本心では可愛いと思っています。
そしてそのことを彼女も分かっているのでさほど気にしている様子はありません。
しかし、たとえ本当に思っていなかったとしても、たとえ相手が気にしていなかったとしても、言ってもいいわけではありません。
というか、50歳近い男性が女性と関わる際に容姿を貶したり身体をつついてからかって遊ぶなんて思っていなかったので、ドン引きしました。
いや、何歳になったって遊び心を忘れないことは素敵ですし、むしろ私は心まで老化したくはない、いつまでも少年のような心を忘れたくない、何歳になっても新しいことに挑戦できるエネルギーのある人間になりたいって常々思っているのです。
だからこそ、「実ほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざのように、年齢を重ねるにつれて周りの人々を大切にし、そして周りの人から尊敬されるような人間になりたいと考えています。
だから、Kさんに対しては、半世紀も生きてきて、なぜ人を貶したり嘘の噂を流したり、そんな汚いことができるのか、純粋に疑問を感じてしまうのです。
私には容姿のことを言ってはきませんし、むしろとても優しく接してくれます。
まあ、それにはおそらく裏があります。
私はリアルブスだからさすがに冗談でも貶せないのでしょう。
誰も笑えませんからね。
そんな私がかわいそうだから、きっと優しくしてくれているんだと思います。
いや、余計なお世話だわ。
そんなある日、新しくBさんという女性が入社されました。
容姿のことについて言及するのは失礼なのですが、まあはっきり言ってかなりの美女です。
他の女性社員さんもお綺麗な方々ばかりですが、なんというかBさんは自信に満ち溢れたオーラをまとっているため他の方々とは違う雰囲気を感じるのです。
さすがに男性社員も何も言えないようでしたが、さらに年齢が上の社員さんたちは違いました。
私が毎日よく仕事で関わっている現場の男性がいるのですが、その方が「新しい事務員さん綺麗やな~!ええなあ、あんな綺麗な子と仕事できるなんて」とKさんに言っていたらしいのです。
そしてKさんは口がふわっふわに軽いので大きな声で言いふらします。
つまり「ワシもこはしさんじゃなくてあんな綺麗な子と仕事したいな」ということだと思います。
毎日毎日文句言われても笑顔で対応し、自分の間違いを私のせいにされても優しく受け流し、ずっとずっと我慢してきたのに。
結局顔が綺麗なだけで、私の努力や我慢なんて簡単に意味のないものになってしまうんだ…ということを思い知らされた貴重な体験でした。
いや、というか笑顔で優しく穏やかに接するのはおそらく多くの人にとって普通のことなのに、それに見返りを求めてしまっていたからダメなんだし、評価されることには容姿が関係ないと思いたくて、でもそうじゃなかったからって努力は全部無駄だったと私が決めつけているだけのことなので、容姿を比べられたりしても気にしない方であればとくに何も変わらず今まで通りなんでしょうね。
でも私は容姿に執着して生きてしまっているので…!
こういうことがあると「ほら!やっぱり!評価されるかどうかは結局は容姿次第じゃないか!」と私の中の何者かが言ってくるのです。
あ~もう潜在意識的に考えることすら面倒です。
どうせ容姿に執着して生きているからそういう容姿次第で評価が決まる現実を引き寄せているってことなんでしょうね。
転職するしかないのでしょうか。
前の職場でもこんな目にあってたんですけどね。
ははははは。
でもなんだか詭弁さんが言っていたことが改めてしっくりきました。
「やるなら徹底的にやれ。中途半端にやるくらいなら潜在意識なんて忘れて生きた方がよっぽど気楽で幸せだ」のような意味合いのことをおっしゃっていた気がします。
本当にその通りだと思います。
私は今、自分が作った現実に苦しめられ、そしてそれを真実だと思い込んでいる。
そしてそのことに気付いていながらも、私には潜在意識をうまく使えないんだ!どうしたらいいんだ!とさらに苦しんでいる。
一番ダメなパターンですよね。
う~ん…今回は愚痴ばっかりになってしまい申し訳ありません。
おまけに悪口まで。
でも少しすっきりしました。
他に吐き出せる場所が無いので…。
この苦しみから何かを必ず学びたいと思います。
そして近いうちに転職します。
この記事をここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
近況報告と決意表明
お久しぶりです。
完全に自分のメモ用のブログとはいえ、1年以上も放置してしまうとは。
自分で自分に驚きつつ、新年のご挨拶をさせていただきたいと思います。
あけましておめでとうございます。
どうでもいいお話なのですが、家の裏の土地にアパートが経つことが決まったため、先日から工事が始まり音がうるさくて落ち着きません。
洗面所が工事している作業員の方々から丸見えなので恥ずかしいです。
まあわざわざ見ないとは思うんですが。
そしてさらにどうでもいいお話になるかもしれませんが、ブログを放置し始めてから現在までどんなことがあったのか、整理しながら書いていこうと思います。
ブログを放置し始めた2019年の年末辺りのことです。
愛犬の体調が悪くなりました。
いつお別れのときがきてもおかしくない状況で、毎日悲しくて悔しくて不安な気持ちでした。
そんな状況でもなんとか2020年を一緒に迎えられて、それがとても嬉しくて、一緒にオリンピック見ようね、春には桜を見に行こうねと約束しました。
それから約2週間後に愛犬は天国へいってしまったので、私は生きていくのってなんて難しいんだろうと思いました。
こんなにも悲しいことが起こったとしても乗り越えなければいけないなんて、生きていくのはそれだけで本当に大変なんだなと改めて感じるとともに、私は人生をリタイアすることにしようと思いました。
むしろ前向きな気さえしました。
よーし!私も死ぬぞ!ってくらい、自分の命がふわっふわに軽いものに感じられました。
その時の私は無職で実家暮らしの引きこもりだったので、本当に自分の人生になんの希望も持てませんでした。
母親は多少気遣ってくれてはいたものの、両親には本気で消えて欲しいと思われていたようでした。
容姿のことなんて、正直考える余裕もありませんでした。
できるだけ誰にも迷惑をかけない死に方にしなきゃとか、痛いのは嫌だとか、そんなことを考えつつ、自殺したんじゃ愛犬には会えないんじゃないかなとか、そんなことも考えていました。
ある日、自分の貯金残高が数千円になりました。
それを見たとき私は「死ぬかもしれない、生きていけないかもしれない」と思いました。
ん?死にたいのに貯金残高気にしてるじゃん、何それ…結局生きていたいんじゃん。
それに気付いてからはなんだか死ぬのが馬鹿馬鹿しくなってしまい、いつの間にか就職活動を再開し、いつの間にかまた事務のお仕事を始めていました。
もう働き始めて1年近くになりますが、適当に決めた職場なのでまあまあブラックですしなんなら初日で辞めたいと思ったくらいでしたが、なんとか続いています。
とにかく休みが少ないのが不満です。
自分の時間をゆっくりとれないと私はなかなか潜在意識活用ができないので、すごく困っています。
ただ、年末年始に久しぶりにまとまったお休みをいただけたことで、色々考える時間をもつことができました。
色々な気付きとかも得られたし、確実になりたい容姿になれる!という確信を得られたし、このままずっとお休みが続いてくれさえすれば完璧なのに…と思いました。
案の定仕事が始まったらその気付きの感覚や得られた確信まで忘れてしまいました。
でも、確実に潜在意識を知ったばかりのときよりも前進しているはず。
それに、私には1つ決めていることがあるんです。
どんなに時間がかかっても、何度挫折しかけても、絶対に諦めないということです。
とりあえず最近決めていることは、仕事に集中しなきゃいけないときなど、イメージングもアファメーションもできないときには頭の中で「私は最高!私は完璧!私は価値がある!私は愛されている!」など、前向きな言葉を一心不乱に言うことにしています。
皆さんに近いうちにいい報告ができるようにこれからも頑張り続けます。
愛犬と再会したときに、いい人生だったよと胸を張って言えるように努力し続けます。
この記事をここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
現在の容姿について
最近、自分の記憶力の衰えが怖いくらいひどくなってきております。
毎日色々なことを考えて、それなりに気付きもあるのに、すぐに忘れてしまいます。
そこで、今回から現段階での気付きや考察などの記録として残しておくための記事をいくつか書こうと思います。
完全に自分が読む用の記事です…。
「現実は今までの自分の選択や意図、願いが現象化したもの」ときいたとき、嘘だ!こんなこと望んでいない!と必ずと言っていいほどエゴが抵抗するので、色々考えてみました。
よく達人がおっしゃっている「別の領域」では、全ての願望が既に叶っているそうです。
「別の領域」に立てていない現時点の私のいるこの世界も、既に叶っている世界なんだそうです。
幼少期の私は、同じ保育所に通う子供のママさんに「家でうちの子がこはしちゃんの話ばかりするからどんな子かと思ったら、本当にかわいいですねえ」と母が声をかけられるくらいだったらしい。
親戚からもかわいがられており、母は子役デビューを真剣に検討したこともあったらしい。
その時期のことはぼんやりと覚えているが、自分がかわいいとかかわいくないとか以前に、容姿の美醜の概念が全く分かっていなかった。
だから、なんかよく分かんないけど自分はかわいいらしい、としか思っていなかった。
しかし、大きくなるにつれて、人間関係がうまくいかなかったり、異性に拒否されたり、親や先生に叱られたり、そういった「不足」の経験の中に、私が自分の容姿を嫌になるきっかけがあったのかもしれない。
私がこんな容姿だからだ。
そんなエゴの言葉を自分の声だと思い込んできたのではないか。
芸能人を見て「綺麗だな(それに比べて自分は…)」と思ったり、同じクラスの女子を見て「かわいいな(自分みたいなブスは目立たないようにしよう…)」と思ったり。
()の部分が実現してきて、今見ている「現実」がある。
それなら、親戚や兄弟から「昔はかわいかったのに」と言われたり、友人から「Aちゃんはかわいいけどこはしはかわいくないな」と言われたりした経験も自分の思考が原因だったんだと腑に落ちる気がします。
他人=自分ですしね。
ですしねって言いつつまだ完全に理解していませんが。
だから今のこの容姿も、私の思考がつくりあげたもので、言い換えれば願った通りの容姿…という解釈をしました。
でも赤ちゃんの段階では容姿の美醜が分からないどころか自我さえ芽生えていないけど、それって適当な容姿で産まれてきているということなのだろうか…という疑問が浮かびました。
自我が芽生えていないということはそれこそ究極の「別の領域」なのではというややこしいことは置いておいて。
赤ちゃんは愛されるために、親の遺伝子を使って親そっくりに産まれるようなシステムになっていて、それはきっとこの世に生を受ける前の自分が望んだことなのではないか…と、どうしてもスピリチュアルな話になってしまいます。
自分で言っておいてなんですが、この考え方はあまり好きではありません。
親に似ていようが似ていなかろうが、親がちゃんと子供を愛さない場合もあるからです。
う~ん、なんだか潜在意識的に全く見当違いな考察をしている気もします。
みなさんはどのように考えますか。
正直、考えなくても大丈夫だと思います。
考えても考えなくても叶うと思うので、自分から迷路に迷い込む必要なんてないですよね。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
願望実現と旅行
前回の記事を書いてから、自分の中で変化したことがありました。
うまく言葉にできるか分かりませんが、記録しておきたいと思います。
ここ数日はこれまでよりももっと本気で顔を変えたいと思って、必死にアファメーションに取り組んでいました。
鏡を見ると「変わってないじゃん」「不細工すぎ」などというネガティブな声が聞こえてきてしまうので、それを抑え込むために頭の中で一心不乱に「かわいすぎてやばい」「世界一の美女」「綺麗すぎて女優みたい」など思いつくままにしゃべっていました。
そんな風に過ごした日々は「なんか変われる気がする!」と「やっぱ変わってないじゃん!」の繰り返しでした。
でもそれって、よく潜在意識関連のサイトなどで目にする叶ってないを叶えてる状況だと気が付いたんです。
「アファしても不細工なままじゃん」と毎日思っていたから、そのままアファしても不細工なままという現実を潜在意識が叶えてくれていただけのこと。
私は一生懸命に現実にしがみついて、現実を変えようとしていたんです。
だから、いくらアファメーションに取り組んで変われる気がしても、鏡を見ると一気にまたマイナス思考に引き戻されてしまっていたんだと思います。
そこでもっと理解を深めたいと思い、「既にある」について調べてみました。
すると、ものすごく分かりやすく解説してくださっている方のブログが見つかりました。
その方の解説の中に旅行のお話が出てきたのですが、その部分を読んだ瞬間に思い出したことがありました。
前回の記事に、12月に県外で一人暮らしをしている友人のところへ遊びに行ったと書きましたが、実はその旅行は友人に伝える前に勝手に自分で日程を決めてしまっていたのです。
もちろん決めた後にきちんと確認はしました。
というのも、その友人にはもう何年も前から「いつか遊びに来てね」と言ってもらっていたにもかかわらず、なんとなく約束を果たせないでいたのです。
そこで、「今年こそは絶対に行く」と先に決めてしまうことにしたのです。
そして準備をするよりも計画を立てるよりもまずバスの予約をとりました。
予約をした日がだんだん近付いてくる感覚がありました。
旅行に行くために準備をするのではなく、旅行に行く日が近付いてくるから準備をしました。
旅行に行く日を決めたから、旅行に行けたという感覚でした。
…ここまで下書き保存したまま半年ほどブログを放置してしまいました。
何をお伝えしようと思っていたのかほぼ忘れてしまいました。
少しずつ思い出しながらなんとなく書いてみますね。
つまり、「よし!叶えるぞー!1000回アファも鏡法もやるぞー!」という状態を旅行に例えると、旅行雑誌を買って読んだり旅行用のカバンや服を買ったりして、旅行に行けるのを楽しみにしている状態に近いのではないかと思ったのです。
そして「あれ?頑張ってるのに全然叶わないぞ?どうなってんだ!」と言っているのは、身の回りの準備だけをして日程も決めず電車やバスの予約もせずに「行けない!なんで?」と言っているのに近い状態なのではないかということです。
ということは、私が友人に誘われていたのに行かなかったあの状態はメソッドの実践すらしていなかった状態ということですね。
よく「例え話が下手だね」と言われます。
分かりづらくて申し訳ありませんがとりあえずこの記事はこの例えのまま頑張ってみます。
私が昨年12月に旅行に行くことができたのは、旅行に行くことを決めたからです。
つまり願望実現も、叶うと決めてしまえば、叶った未来が自分のところへ近付いてくるのではないかと思ったのです。
それが達人さんたちがおっしゃる「既にある」ということなのではないかと思ったのです。
私もよく「なりきり法」に取り組んでいても「なりきりしてるのに鏡見て落ち込んじゃった…やっぱブスじゃん…」とネガティブになります。
それは旅行に例えると、せっかく予約したバスをキャンセルしているのに近い状態かなと思います。
「なりきり法」で「なった」時点で叶うことは約束されている。
鏡の自分は「なる」前の自分が映るだけなので気にしなくても大丈夫。
友人と、分かりやすいブログを書いてくださっている達人さんたちのおかげで、自分の体験の中から大切なことに気が付くことができた気がします。
私もまだ何かを実現したわけではありません。
しかし必ず理想通りの自分になって、いつかご報告できるようこれからも頑張ります。
この記事をここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
死ぬ気になって頑張ります
ブログの更新をしなくなって5ヶ月近く経ってしまいました。
その期間には本当に色々なことがありました。
本当に本当に色々なことがあったのに、私はまだまだ無職です。
どんなことがあったのか、ものすごく簡単に吐き出させていただければと思います。
11月には曾祖母の法事がありました。
12月には県外で一人暮らしをしている友人のところへ一泊二日で遊びに行きました。
1月には詳しくは書けませんがまるでドラマのように不幸な出来事が家族の身に起こりました。
2月には県内で一人暮らしをしている友人のところへ共通の友人へ贈る出産祝いについて計画を立てるために遊びに行きました。
3月には顎変形症というものの存在を知り、歯医者へ行ってきました。
2月末か3月頭に、Twitter上で歯列矯正をして綺麗な横顔を手に入れている人をお見かけし、もしかしたら自分のこのしゃくれ顔も歯列矯正で直せるのではないかと思い、潜在意識のことも忘れて調べまくっていたところ、顎変形症という言葉を知りました。
私の場合は噛み合わせが反対になっていたり歯並びが悪かったりなどの問題はないものの、上の前歯と下の前歯の真ん中がズレているためもしかしたら顎変形症と診断してもらえて保険で骨切り手術を受けられるのではないかと思い、またまた潜在意識のことも忘れて以前親知らずを抜いていただいた矯正歯科に行くことにしました。
そちらの先生とはメールで事前にやりとりをしていただきました。
歯列矯正では骨は動かせないから、しゃくれを直すなら骨を切らなければならないかもしれないが、程度によるのでとにかく一度見せてほしいとのことでした。
もしかしたら矯正だけで直せるかもしれないと言ってくださいました。
姉が子供の頃に歯列矯正をしていたので、どのくらいの金額がかかるかは知っていました。
そしてもし顎変形症と診断されたとしたら、大手術を受けることになることも知っていました。
でも、確実にこのしゃくれが直るならなんてことないと本気で思いました。
そして予約した日がやってきて、ドキドキしながら歯科へ向かい、緊張気味に受付に診察券を出しました。
名前を呼ばれて診察台へ。
もしかしたらこの顎ともおさらばできるかもしれない。
そんな期待を胸に先生に歯を見せました。
「ごめん!これは整形の域だわ!矯正でこのガタガタとか部分的な反対咬合は直せるけどねえ。でもこの顎は引っ込まないよねえ。ごめんごめん。なんか、大丈夫?」
先生の発した言葉たちに衝撃を受けてしまいました。
まず、私の歯並びはプロの目から見るとガタガタで一部下の歯が上の歯よりも前に出てしまっているということ。
次に先生が、「この顎」と口にも突っ込んだ器具で私の顎をペチペチしながら言ったこと。
もちろん、先生に悪気なんて全くないのは分かっています。
念のために、顎変形症の可能性はないですかと質問したところ、先生たちになぜかあきれたように笑われながら大学病院へ行ってくださいと言われました。
そのまま放心状態で帰宅しました。
顎変形症の診断ができる歯科とできない歯科があり、私が行った歯科はできない歯科であったと知ったのはその後すぐでした。
整形するしか方法はないとおっしゃったのは歯列矯正以上のことは先生には言えないからだったのだと思います。
そもそも顎変形症の診断にはレントゲンでの精密検査なども必要なので歯だけを見て判断してはいけないと思いますし本当に色々難しいそうです。
整形のための費用を考えたら、いったい何年経てば手術を受けられるくらいお金が貯まるんだろう。
とにかく、これからは何事も行動に移す前にはしっかり事前に調べてからにしようと誓いました。
それからは本当に毎日死にたい気持ちで過ごすしかなくなりました。
先生に言われた通り大学病院へ行こうかとも思いましたが、もし本当に顎変形症と診断されたとして、よく考えてみたらあんなに大変な手術を家族が理解してくれると思えませんでした。
それに顎変形症という言葉を知ってしまった今、診断されなかったとしたら、私はただしゃくれているだけの人になってしまう気がして、それが怖かったのです。
先生の言葉に他意がないのは当たり前で、その矯正歯科でできる判断や診断、提案の中で最大限、どんなことをすれば私の悩みを解消できるか、その方法を教えてくれただけなのに、初めて専門家の立場の方から顔のことについて指摘を受けたことが私の心に暗い影を落としました。
楽しいと思えることに集中していても、油断するとすぐに私の心の中を死にたい気持ちが支配してしまいます。
しかし1月に起きたドラマのように不幸な出来事で家の中の雰囲気は最悪なのでこれ以上誰にも心配はかけられないし悲しい思いをさせたくはない。
何度も何度も頭の中で死にたい死にたいと唱えていたら、ある考えが浮かびました。
いつか人は死ぬのだから、今じゃなくてもいい。
自分は容姿を貶されたり馬鹿にされたり苦しい思いをしてきたけれど、きっとそれにも意味があったはず。
死にたくて死にたくて仕方がないのなら、これが最後というつもりでもう一度潜在意識を信じてみよう。
死ぬのはそれからでもいいんじゃないか。
自分だって綺麗な顔になって楽しく過ごしてもいいんだから。
そんな風に思うことで、とりあえず私はまた生きていこうと思えました。
潜在意識活用を通してさまざまな願望と向き合っていらっしゃる方々からしたら、私のようにすぐに諦めて途中で投げ出してはまた潜在意識に頼るような人間はきっと滑稽でみじめな存在かもしれません。
これが私のできる精一杯の生き方で、精一杯の願望との向き合い方です。
私の歩き方で進むしかないというのがやっと分かってきました。
ガタガタの歯並びも、反対咬合になっている部分も、しゃくれているこの顎も、全部全部潜在意識で直してみせる。
何度諦めて何度死にたくなっても、絶対絶対顔を変えるまでは死なない。
そう決めました。
ここからまた最初からやり直すつもりで潜在意識活用に励んでまいりたいと思います。
また、ブログの更新頻度も月1回くらいには戻せるように頑張ります。
この記事をここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
大切なのは信じること
嫌な思い出と向き合うということは、とてもエネルギーを消費するものなんですね。
前回の記事で、過去にあった容姿に関する嫌な思い出を吐き出させていただきました。
その後、どんどん暗い気持ちが押し寄せてきてしまい、しばらく寝込んでしまいました。
同時にひどい風邪をひいてしまい、1ヶ月ほど体調不良が続きました。
そのため、ブログの更新が1ヶ月以上ぶりになってしまいました。
というのは半分嘘で、実は9月半ばにNintendo Switchを購入しまして、ドラゴンクエストビルダーズというゲームに夢中になってしまい、ブログの更新をさぼっておりました。
自己満足100%のブログなので、更新してもしなくても誰かに迷惑をおかけすることはありません。
しかし、今までなんでもすぐ投げ出して続けられずにきたのだから、せめてこのブログくらいは自分自身のために頑張って更新しなきゃダメだ!と言い聞かせて本日やっとこの記事を書いています。
前置きが長くなってしまったのですが、先日発見したことがありましたので、大したことではありませんがそのことを書きたいと思います。
私は数年前からあるアイドルの女の子のTちゃんが大好きで、彼女が出演するテレビ番組は必ず録画しますしスマホは彼女の画像でいっぱいになっています。
Tちゃんの顔もスタイルも大好きで、見ていると幸せな気持ちになります。
そんな風に毎日Tちゃんの顔を見て過ごしていたある日、姉が「こはしちゃんはアイドルのTちゃんに似てるよって旦那が言ってたよ」と教えてくれたのです。
姉には私がTちゃんが好きだということは伝えていなかったので驚きました。
また、友達のAちゃんにTちゃんが大好きなんだという話をすると、「こはしはTちゃんに似てると思うよ?」と言ってくれました。
母に関しては、Tちゃんの画像を見せると「これこはしじゃん!こはしにしか見えないよ」と言ってくれるほどになってきたのです。
実は、私はこの時期にTちゃんの画像を見ながら自分の顔がTちゃんの顔になっているところをイメージングしまくっていたのです。
今まで好きになった芸能人の中で1番好きで、嫉妬の気持ちなんて一切わくこともなく、彼女の顔になることができたらどれだけ幸せだろうかと、ただただ真っ直ぐに思うことができたからです。
まわりの人に似ていると言われ始めたということは潜在意識に願望が届いた証拠だと初めは素直に喜んでいました。
しかし、似ていると言われるとなんだか変に意識してしまい、自分の顔とTちゃんを比べてみたくなりました。
自撮りをしてみたり鏡をじっくり見てみたりを繰り返しました。
そこには今までと特に変わらない私の顔がありました。
その頃には鏡や写真にどんな顔がうつっていたとしてもそれは過去の映像だしどんな私でも完璧だから大丈夫と思えてきていたのですが、「似ている」というまわりの人の言葉に期待してしまい、理想と現実のギャップに心が負けてしまいました。
そこで顔が変わっていなかった理由を2つ考えてみました。
Tちゃんを好きな気持ちが顔の変化ではなくただ単に「似ている」という言葉だけを引き寄せたのではないかということ。
それともう一つが、「似ている」というまわりの言葉は本当に潜在意識で顔が変わる過程において最初の段階で、つまりイメージング自体は成功していたのに自撮りや鏡で行った確認作業自体が、変化を止める原因になったのではないかということ。
おそらく2つ目が正解だと思います。
私以外にもここでつまずいてしまっている方がいらっしゃるのではないかと感じています。
変化をし始めた段階が一番つらい時期かもしれません。
私も自撮りや鏡で確認作業なんてしないでまわりの人たちの言葉を信じて感謝し喜んで受け入れていれば変わっていたのかもしれません。
エゴの声に耳を傾ける必要などない。
自分は自分のままで完璧。
だからなんでも叶う。
幸せにしかなれないから大丈夫。
まわりの人たちを信じ、自分も信じる。
そう自分に言い聞かせて、もう一度イメージングを頑張ってみようと思います。
ちなみに2014年に撮った自分の横顔の写真を発見したので今の自分の横顔と比べてみたところ、少し鼻が高くなっていました。
人によっては変わってないじゃんと思うかもしれないほど微妙な微妙な変化ですが。
鼻の触り心地が変わった気がしていたのですが、まさか本当に高くなっているとは思いませんでした。
なぜ鼻だけ変わったのかというと、鼻の骨は死ぬまで成長し続けると誰かに教わったことがあるのですが、そのときの衝撃がかなりのものだったので、頭にインプットされて変わりやすかったのかもしれません。
4年でこんなちょびっとしか変わらなかったのかとガッカリしましたが、少しでも変わっていてよかったじゃんとポジティブに考えることにします。
今回は久しぶりの更新になってしまいましたが、考えたこと、発見したこと、日々のなんでもないことも、どんどん記事にしていけたらいいなと思っています。
この記事をここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
容姿のせい
なんでも容姿のせいにしてはいけないよ。
つらい出来事がある度に容姿のせいにしていたら、原因が容姿にあると思ってしまうようなつらい出来事をどんどん引き寄せてしまうんだよ。
さあ、悪循環を断ち切ろう。
そう自分に言い聞かせてみても、幼い頃からの思考の癖はなかなか直すことができません。
小学生の時。
初めて買ってもらったイヤリングを付けて、休みの日の学校で友人たちと遊びました。
実はその日、「あの子、顔かわいくないのに付けとるイヤリングはかわいいな」と私を見かけた上級生たちが噂していたそうです。
噂は学年を越えて私の耳にも届きました。
私はかなりひどい天然パーマで、不良たちに「鳥の巣が来た」とからかわれていました。
かわいそうに思ったのか、両親が美容院で縮毛矯正をあてさせてくれたのですが、逆にもっと不良たちにからかわれました。
「なんか髪真っ直ぐになっとるし」「そんなに鳥の巣が嫌やったんやな」みたいなことを大笑いしながら言われとても悔しかったのを覚えています。
3~4年生の頃はクラスの女子に無視されたり仲間外れにされたり、色々なことがありましたが、5~6年生になった頃にはわりと平和に過ごせたと思います。
悪い思い出が多いけど、良い思い出もある小学生時代でした。
中学生の時。
男子はすでに容姿の優劣で女子への接し方を変えていました。
期末テストの順位や運動神経、所属している部活動などの成績や出来不出来で、残酷かつ暗黙に決まるスクールカーストが、私の通っていた中学校にもありました。
しかし、それらの条件を満たすことができていなかったとしても、顔がかわいければクラスの人気者でした。
そのくらい容姿が個人の評価に与える影響は、その頃の少年少女たちには大きかったのだと思います。
私はというと、テストの順位は3年間平均すると約300人中200~250位くらいで運動も全くできず所属していた吹奏楽部にはかわいい女子ばかりだったため悪目立ち状態で、スクールカースト戦争で争うための武器など何も持っていませんでした。
1年生の時、校門で友人を待っていたら近くにいた3年生の女子に「近くにいないでほしいんだけど。気持ち悪い顔してさあ」と言われました。
2年生の時、かわいい女子と並んで歩いていると、うしろの男子たちが「よく一緒に歩けるよな」と私を見てニヤニヤしていたことがありました。
同じく2年生の時、いじめられている男子が罰ゲームで私に告白の真似事をさせられるということが何度かあり、教室の隅でこちらをニヤニヤ見ているスクールカースト上位でいじめの主犯である男子たちをにらみつけるのが精一杯でした。
登校拒否で休みまくり、学校に来ても早退しまくり。
クラスの女子たちが「うわ、また早退しよるし」「なんですぐ帰るん」とヒソヒソ声で話しているのが聞こえたこともありました。
あの頃の私には、休みながらではないと通うことができなかったのです。
両親も先生もあきれていました。
つらく苦しい中学生時代でした。
高校生の時。
Aちゃんという友人ができました。
お互いに親友と思えるくらい仲良しになり、休みの日にはよく2人で映画を見に行きました。
ある日、Aちゃんが私と同じ髪型にしたことをきっかけに、「Aちゃんとこはしは顔がそっくりだね。双子みたい」と言われることが増えていきました。
話したことのない女子にも声をかけてもらえて最初のうちは嬉しかったのですが、よくよく考えてみると声をかけられているのはほぼAちゃんだけでした。
私がトイレから出ると、ある女子がこちらをじーっと見ているので不思議に思ってそちらを見ると目をそらされ、Aちゃんが出てきたら「Aちゃんおはよう。今日もかわいいね」と声をかけていたり。
クラスの女子が「Aちゃんとこはしさんって子似てるよね。Aちゃんかわいいよね」と言っているのが聞こえたり。
そんなことが続いたある日、私の友人2人が小声で「Aちゃんとこはしは似てるけどさあ、こはしをかわいくしたバージョンがAちゃんって感じやんな」「Aちゃんはかわいいけどこはしはなあ」と笑いながら話しているのが聞こえてきました。
なんとなく分かっていたのに、傷付いてしまいました。
別の友人には面と向かって「2人似とるなあ、Aちゃんかわいいけどこはしはかわいくないな」と言われたこともありました。
その時、隣にいたAちゃんが「そんなことない、私のことかわいいと思う人なんていないよ」と今思うと謎のフォローをしてくれましたが、もちろん友人たちはAちゃんをフォローし始めたので私はポカーンとするだけでした。
そういえば1年生の時、美術の授業中に近くの席の男子たちが「ブスってさあ、なんで生きとるんやろ。俺ずっと疑問なんやって。だって生きとる価値ないやん」と言っているのが聞こえてきたので、心の中でそれでも生きる!!!と叫んだことがありました。
あと下校中に自転車ですれ違った他校の男子に顔に向かってゴミを投げられたこともありました。
フライドポテトの食べ終わった袋でした。
その頃お付き合いをしていた男の子が他校にいたのですが、他に好きな人ができたと言われ、理由をきくと「その子の顔があまりに綺麗で、綺麗だなって思っていたらいつの間にか好きになってた」と言われました。
「でも個人的にはこはしの顔の方が良いとは思うから」とフォローしてくれましたが、なら私はどうすればよかったのだろうと余計に悲しくなりました。
彼が好きになったその綺麗な子というのが中学生時代に吹奏楽部で同じ目標に向かってともに努力した思い出のある友人だったことが余計に私を苦しめました。
スクールカウンセラーの先生に相談すると、「高校生の男の子って、アクセサリー感覚で女の子を選ぶのよ。だから顔が綺麗な女の子の方が今は良く思えちゃうのよ。大人になれば同じ土俵に立てるから大丈夫よ」と励まされました。
せっかく励まして下さったのにとてつもなく落ち込んだことを覚えています。
その後も彼とは数年間お付き合いをさせていただいたので、高校生時代はほとんど彼との仲で悩んでばかりいた気がします。
社会人になってから。
最初に働いた職場で、同僚が着替え終わるのをひとりで待っていたら、男性社員たちが私の前を通り過ぎたので挨拶すると、若干驚いた様子でした。
そのあと小声で「ビックリした。座敷童でもおるんかと思ったわ」と笑っていました。
飲み会では女性の先輩が「こはしさんってかわいいよなあ、そう思うやろ」と男性社員たちをなぜか突然激しく質問攻めにし、それまで酔って盛り上がっていた男性社員たちは急に静まり返りました。
先輩は「えーなんでなんでなんで黙るん」と嬉しそうに盛り上がっていました。
次の職場では、上司がかなりの女好きだったので、若くて派手な社員さんは特別待遇を受けていました。
ここには書くことができないようなこともたくさんしていました。
ある日、上司が夜の街を歩いていたところ、バニーガールの女の子が客寄せをしていたらしく、近付いてみたところ好みの顔ではなかったそうです。
さらに上司の苦手な眼鏡をかけた女の子だったそうなのですが、お尻が魅力的だったのでお店に入ったそうです。
その女の子はまだ経験も浅く接客も不慣れな様子だったため、イライラした上司がせめて触らせろと胸に手を伸ばしたところ、女の子が悲鳴をあげて男性店員を呼び、上司は店を追い出されたんだそうです。
「ろくに接客もできないような女は夜の仕事をするな。男の気持ちを良くするのが仕事なんだから、少しくらい触らせろ。ブスでも我慢して触ろうとしてやってんのに何がキャーだよ」とのことでした。
最後に大声で、「ブスで眼鏡の女は男の前に出てくるな」と言いました。
その話を聞いているときに上司と奥さんがニヤニヤしていることに気付きました。
あ、社内で眼鏡なの私だけだ。
奥さんがこちらをチラチラ見てくる。
そういえば社内でセクハラ被害に遭っていないのも私だけだ。
その後、半年以内に辞めました。
本当に、これが些細な出来事だと思えるくらいにこの会社では他にも色々なことがありました。
ここに書いたこと以外にも、たくさんつらい出来事がありました。
きっとこれからも、つらい出来事は絶対にあると思います。
過去の自分には、大人になっても私はなんの武器ももつことができていないし、同じ土俵にすら立てていません、ごめんなさいと謝りたい気持ちです。
潜在意識で容姿が変わる可能性なんてないという意見があることは知っています。
でも、私はその可能性を信じないと生きてこられませんでした。
だから、これからも信じていたいと思います。
信じられなくなるまでは絶対に。
ちなみにAちゃんとは今でも仲良くしてもらっています。
また、何度か男子を悪く言う場面があったと思いますが、決してすべての男性が嫌な人だとは思っていません。
優しくて面白くて頼もしくて頭が良くて素敵な男性をたくさん見てきました。
こんな人間になりたいと思ってしまうような男性は学校にも会社にも必ずいらっしゃいました。
ただ、中学生になってから男子とどうしゃべったらいいのか分からなくなり、社会人になってからもほとんどコミュニケーションをとれなくなってしまいました。
いつか自分に自信がもてたら、男女問わずたくさんの方たちとコミュニケーションをとれるように頑張りたいと思います。
この記事で過去の容姿に関するつらい出来事を吐き出せたので、少しだけスッキリしたような、逆にトラウマがよみがえったような。
なんだか暗い内容で申し訳ありません。
でも、私が勝手に容姿が原因だったんだと思ってしまっている出来事もある気がしたので、これからは少しずつでもなんでも容姿のせいにする癖を直していけたらいいなと思っています。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。